3.11から6年、”いま”私たちにできること

こんばんは。新宿区議会議員の伊藤陽平です。

本日は、グリーンバード新宿チームのメンバーが所属する会社がCSR活動として行っている「3.11から6年、”いま”私たちにできること」というスタディツアーにお誘いをいただき、福島に来ています。

この企画では、福島に行ったことがない学生のために会社が支援を行っています。
なんと学生は交通費、食事込みで4000円と超破格です。
学生のみなさまは、教育関連のSNSなど、インターネットでこの企画のことを知り参加されていました。

私も、青森県八戸市や岩手県久慈市などの被災地へ足を運んだことはありましたが、福島は初めてです。

まずは、いわき市の塩屋埼灯台へ。
津波の被害が大きく、街自体が流され多くの方が亡くなられました。
今でも復興のための工事が行われています。

実際に被災された方からご説明をいただきました。
津波が襲ってきたこと、遺体の確認に携わられたこと、行政の対応など。
当時の写真を用いて、講義形式でお話を伺いました。

塩屋埼には、
「大きい津波はやってこない」
と古くから言い伝えがあったそうです。
お話をいただいた方も、津波がきた時も大丈夫だろうと思っていたそうです。
しかし、リスクを過小評価してきたことから、今回大きな被害につながってしまいました。
現在はその言い伝えに修正が必要だと考え、大きな津波の危険性を後世に伝えていきたいと語られていました。

また、当時の行政に関するお話については、興味深いものがありました。
行政が避難所を開設し、水や食料を用意するなどは、スピード感を持って対応していたそうです。

しかし、当時は大人が冷静さを失ったそうで、親しい間柄でも、本来は少し待てばしっかりいきわたる水や食料の取り合いなどで喧嘩が頻発していたそうです。
確かに、住民同士でのトラブルのリスクについては、行政も見落としがちになり、子どもたちにも悪影響が及ぶことになるため、注意が必要ですね。
行政サイドとして、丁寧に被災者の方にご説明を行うなど、冷静な対応が必要です。

塩屋埼のお土産を買うとお店に入ると、店主の方とお話をさせていただきました。
「たまたまスーパーへ買い物に出かけてたけど、自宅は流されてね。」
と、より個人的な当時のお話をお伺いすることになりました。
津波により家が流されて何も無くなってしまいましたが、お店だけは無事だったそうで、今でも商売をされているとのことでした。

工事をしていた場所の写真がありましたが、昔はこんな街がだったんですね。

そして、バスで福島第一原子力発電所付近へ。

このエリアでは、住宅やお店が立ち並ぶ中、誰ひとりそこでは暮らしていません。
建物が倒壊していながらも放置されている様子や、瓦礫の山が見えてきました。

橋を渡る時に、隣に目を向けると流された橋の跡が。

自然災害の恐ろしさを痛感することになりました。

また、こうした体験に加え、いわき市で美味しい昼食をいただいたり、トマト狩りも楽しみました。

いわき市のみなさまありがとうございました。

イベントの趣旨にあるように、「いま私たちにできること」を一人ひとり考えて行動していくことが大切です。
6年もの歳月が経過し、時間が経てば経つほど、東日本大震災への関心は社会の中から薄まってしまうでしょう。

今回のイベントで参加されていた学生の方は、当時中高生くらいだったはずです。
当時は何もできなかったけど、東日本大震災のために何かしたい、と一歩を踏み出された方もいらっしゃいました。

また、教員志望の学生が、
「教師として、子どもたちに伝えるべきことは何ですか。」
など、自分の仕事に活かせるよう、積極的な学んでいる様子もありました。
今回のような経験があれば、現場に出てからも防災教育に取り組んでいくことでしょう。

東日本大震災への関心を持つきっかけになる本イベントの意義を改めて感じました。
本日はご一緒させていただき、誠にありがとうございました。

私の場合は、東日本大震災の教訓を活かし、新宿区政を通じて行動できることがたくさんあります。
危機管理に関する取り組みを、さらに増やしてまいります。

東日本大震災でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、1日も早い復興のために行動してまいります。

それでは本日はこの辺で。

ABOUTこの記事をかいた人

伊藤 陽平

新宿区議会議員(無所属) / 1987年生まれ / 早稲田大学招聘研究員 / グリーンバード新宿チームリーダー / Code for Shinjuku代表 / JPYC株式会社