※自民党や、SEALDsを批判することを目的とした文章ではございません。
自民党という党名は省略された名前なのはご存知でしょうか。
正式には、「自由民主党」ですよね。
政策など詳しい情報はホームページで読むことができます。
そして、国会前デモで話題になった学生団体SEALDs(シールズ)は、
「Students Emergency Action for Liberal Democracy – s」
の頭文字を団体名にしたものです。
「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」
という意味のようです。
何をするために活動しているか気になる方は、
SEALDsのホームページをご覧ください。
もう、お気づきの方もいるかもしれません。
どちらの団体も「自由」と「民主主義」が、団体名になっているのです。
ホームページを見れば、理念や掲げる政策までご理解が深まると思います。
政治的思想が真逆の団体で、
同じ言葉が団体名になっている状況に、
矛盾を感じている方もいらっしゃったのではないでしょうか。
デリケートなテーマではありますが、
政策の細かい話ではなく「自由」という言葉を切り口に、
政治的スタンスの考え方についてお話させていただきます。
(民主主義は過去にも扱ってきたことや話が長くなるので今回は触れません。)
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経済学の世界では、経済成長を狙った減税や、規制緩和など「自由」だとされている政策がありますが、
その真逆の増税、大きな政府、政府主体の分配による支援の増大を前提としている政策に対しても、
「自由」という言葉が使用されるケースは非常に多いです。
例えば、ハイエクやフリードマンなどの経済学者が用いる「自由」という言葉は、
最低限のセーフティネットは大切にした上で、
税の影響や規制を最小限にするなど、「経済的に自由」な環境を目指す際に用いられます。
経済的自由度の高い国が成長し、
政治体制こそが非常に重要な役割を果たすことは、ご承知のことだと思います。
国土や気候など地理的条件や言語などがほぼ等しい条件の韓国と北朝鮮があります。
両国の豊かさの違いを見れば、
「自由な政治体制」が国を成長させる上で重要だということは一目瞭然でしょう。
自由経済というと、経営者以外には関係の薄い話だと誤解されることが多いですが、
政府への強い依存を目指すということは、
職業選択の自由もなくなり、日々の行動までも政府に決められ、
自由が奪われることを歴史が証明しているのです。
しかし、今の日本社会を見れば、
年間所得の約半分は政府の事業を維持するために納税し、
政府支出により経済が生み出されています。
そして、様々な規制によって新しい事業を創出することが難しいという実態もあります。
何よりも、1千兆円もの借金、1億円もの世代間格差など、
子どもにツケをまわす社会だと言えます。
そして、なぜか「自由」を掲げた団体が、
政府からの税による支援を多く望むことで、
結果として増税につながっていきます。
自由主義と対照的な例として、
「政府が生活費など面倒を見ることで、自由に活動できる社会が理想だ。」
など、社会主義的政策で「自由」が用いられる場合もあります。
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私も自民党やSEALDsと同じように、
「自由」という言葉を重視した上で、政策を考えているつもりです。
自由経済を重視した上で、
画一的な行動だけに価値を置かず、
誰もが自由に挑戦をすることができる社会を目指しています。
しかし、自由民主党やSEALDsを見ても、
私が目指すところの「自由」の定義とは異なっています。
また、政治的なスタンスを明らかにして活動する方の中では、
政府よりを右派、反体制のことを左派という言葉を用いることがあります。
右派は「自由民主党」、左派が「日本共産党」
ということで解釈をされている方もいらっしゃるでしょう。
これらの政党名と関連させることで、
右派が「自由主義」で、左派が「共産主義」を目指しているような、
印象をお持ちの方もいらっしゃると思います。
政治的スタンスが違うことによる過激な争いを見ていると、
そもそもの思想や目指すゴールも真逆のように見えるかもしれません。
しかし、政策の性質的に「増税、大きな政府、政府主体の分配による支援の増大」
が政策に不可欠な要素になっている以上、
子どもにツケをまわすことを回避する政策とは言えません。
右派も左派も大きな政府路線であることから、
私が大切にする「自由」とは正反対の場所で、
共通する部分があるのではないかと感じているところです。
自民党を支持していた方が今ではSEALDsを応援し日本共産党へ支持を変えた
という方も知っています。
もちろん逆の方もいらっしゃると思います。
また、選挙結果の分析で、
「自由経済」を全面に打ち出していたみんなの党が解党した後、
共産党へ支持を変更した層が非常に多かった
という調査結果も出ています。
無党派層の中には、「自由経済」を重視している人ばかりではなかったと考えられます。
これから「自由」や「民主主義」という言葉がどこにでも登場する以上、
何をもって「自由」「民主主義」かと判断をすることは、
有権者の立場はもちろん、政治家の間でも十分に理解をされていないのが現状でしょう。
これだけ政府の力が大きくなった現代社会において、
右派や左派で括ること自体が意味をなしません。
これからは、どの立場での「自由」かを明確にし、
政局など政策に準拠しない判断基準ではなく、
政策を重視した政治を行っていくことが求められています。
—
自由経済の話をすると金の亡者のように誤解を受けることも多いです。
経済的自由が奪われると、
仕事だけではなく、余暇、そして思想の自由なども奪われることを意味します。
また、繰り返しになりますがセーフティネットは否定していません。
福祉の向上をするために、
経済成長と分配が必要です。
借金などそれ以外の手段で分配をすることは、
子どもにツケをまわすことになりますが、
果たして手段として適切でしょうか。
単語の解釈とは、非常に難しいものです。
このように同じような団体名であっても、
性質の異なる有権者に支えられ、対立することもあります。
若干デリケートなテーマを扱ってしまいましたが、
私が抱いた素朴な疑問を、
「自由」を切り口に文章に落としてみました。
まだ未熟ではありますが、
これからも政治を志す若者として、
自由や民主主義を考え頑張っていきたいと思います。
それでは本日はこの辺で。