政治経済の教科書で太文字を覚えても選挙で当選しないし稼げない

みなさんも、中学や高校で社会科を学んだ経験があると思います。
世界史でも政治経済でも、社会科は暗記科目だと認識してる方も多いのではないでしょうか。

社会の授業中に、
「教科書の太字は試験に出すから覚えておくように。」
が口癖の先生もいたと思います。

小学校で読み書きや計算を覚えることは、ある程度意味があることだとわかりますが、特に社会科に関しては授業見学や教科書を見ても、個人的にはあまり教育的価値を感じることができません。

まず、社会のテストは暗記のコツさえつかめば誰でも高得点が取れます。
私が高校生の頃にはコンピュータ教材も充実していて、暗記術などのノウハウも簡単に入手することができました。
社会について理解する必要もなく、それらのテクニックを活用することで高2で40だった世界史の偏差値は高3で70を超えました。

日常生活でも社会科で学ぶ用語がわからないと会話にならないことはもちろんありますし、暗記中心の学習を否定するつもりもありません。
しかし、ほとんど何も考えることなく暗記し、穴埋め問題を解く時間があまりに多すぎます。
評価の仕組みがテストの点数であることを変えない限りこの傾向は続きます。

そもそも指導をする教師が、政治や経済に関して用語集は暗記していても、実際の仕組みにほとんど触れたことがない場合もあります。
同様に歴史や地理の教師も、教科書に出てくる場所へ足を運ばないこともあるでしょう。
最近では若者の低投票率が問題になっていますが、実際に社会科の教員免許取得を目指し勉強している方の中にも、投票に行ってない人たちもいるそうです。

これは政治家にも言えることで私も人のことを言えるような立場ではありませんが、実際の実務能力に関係なく教員になり社会科の指導をすることもできてしまいます。
数学など法則性がある科目以上に、社会科に携わる教師は経験が必要です。

本来であれば、社会問題を通じて思考のトレーニングを行い、判断力などを教育を通じて身につけることができます。
これまで主権者教育や起業家教育の事例もブログでご紹介させていただきましたが、穴埋め試験対策の時間をコンピュータや暗記術により効率化し、学内外問わずもっと実践的な時間を増やすべきです。

小学校や中学校など義務教育は聖域化し、議会でも基本的には無条件に美しいものとして扱われる傾向があります。

もちろん、世界を見れば格差が存在し、学校が存在することや卒業すること自体に価値を見出すことも必要です。

しかし、教育の内容に目を向けると、現実社会とは大きな乖離があります。
急激なIT化によりこれまで存在した仕事の多くがコンピュータに代替され、仕事のあり方自体が大きく変わっています。
私が受けてきた教育も残念ながら役に立つものばかりではありませんでしたが、これから先の時代は教育や学校の存在意義自体を改めて考え直さなければ、学校に通っている時間が非効率に浪費されることになります。

私も歳をとってしまったのか、今でも自分たちと同じような教育が行なわれていることに安心をしてしまう部分もありますが、子どもたちの貴重な時間を削って学校に通ってもらっていることを自覚し、社会人として教育の中身が妥当かまで見ていく必要があります。

それでは本日はこの辺で。

ABOUTこの記事をかいた人

伊藤 陽平

新宿区議会議員(無所属) / 1987年生まれ / 早稲田大学招聘研究員 / グリーンバード新宿チームリーダー / Code for Shinjuku代表 / JPYC株式会社