福祉領域は、自己犠牲から市場経済的へ

今日はLITALICOインクルーシブ教育研修の2日目でした。
9月の議会では、この2日間の成果として議会質問に活かしていきます。

議会や行政にいるとあまり馴染みがないかもしれませんが、LITALICOは今年上場を果たしたベンチャー界隈では有名な会社です。
障害者の就労支援、ITものづくり教室などの事業を展開しています。
発達障害の傾向がある子どもたちも安心して通える学習塾事業は、たった5年で約1万人がサービスを利用、また現在も待機が4000名もいらっしゃいます。

もうだいぶ昔になりますが、ちょうど就職するか独立するか検討していたハタチのころにベンチャー経営者の方にお話を聞いてまわっていたことがあります。
その時に、LITALICOの創業者である佐藤社長を訪ねたことがありました。
当時、
「株式会社として新たな価値を生み出し障害者を支援している。」
というお話を聞いて衝撃を受けたことを今でも覚えています。

また、今回の研修の中では、
「福祉といえば自己犠牲のようなイメージがあるけど、私たちは資本主義の中で仕事をしている。働く人も充実することが大切だ。」
という話もありました。

福祉といえば行政や補助金事業の代表格であり、市場が介入すべきではないとされる領域でした。
しかし、福祉サービス以外でも食べ物のように生死に関わるものもありますが、政府が提供しているわけではないものもあります。
市場を通じて人々は良い食べ物を得ることができ、良い仕事をした人は利益を得ることができます。

同じように、そこで働く人たちが社会のニーズにこたえられた時に、より多くの対価が得られるべきだと私は考えます。
また、テクノロジーで福祉を変えていくことを目指すベンチャー企業の活躍も期待しています。

今よりも福祉を充実させて欲しいという意見が多いと思いますが、収入に対して過剰な支出を行っているのが日本社会の現状です。
なぜなら、自己犠牲の精神は確かに素晴らしいものですが、完全に自己犠牲で成り立っているわけではなく、その裏には非常にわかりにくい形で真の犠牲者が存在するからです。
例えば現役世代へ福祉を維持するため財政的な負担を強いることで、経済的な理由で結婚ができない若者が増えているかもしれません。
さらに、政治的な意思表示をしていない子どもたちへ財政負担を強いることは、彼らの未来を奪うことが前提になっています。
これははたして福祉の目指した結論だったと言えるのでしょうか。

福祉においても均衡財政の範囲内で行うべきで、市民への負担は少ない方が自由や多様性が生まれます。

少し昔の記事ですが、LITALICOでは低所得者向けに授業料無償化を行っています。

朝日新聞に「発達障害児の子向けの塾 低所得者は授業料免除 『Leaf』」の記事が掲載されました。

まだ可能性レベルの話ですが、必要な福祉サービスがほとんど民間で提供されるような社会がやってくるかもしれません。

社会起業家の仕事は行政の事業と重なる部分が多いものです。
彼らの全事業がすぐ新たなビジネスになるというわけにはいかないこともわかります。

しかし、政府の考えや税に頼らない取り組みが一つでも増えることが重要で、今後もこの流れを加速させていく必要があります。
意思決定の遅い行政を横目にスピーディに民間が事業を進めることで、福祉領域にも多様性が生まれ社会は変わっていきます。

それでは本日はこの辺で。

ABOUTこの記事をかいた人

伊藤 陽平

新宿区議会議員(無所属) / 1987年生まれ / 早稲田大学招聘研究員 / グリーンバード新宿チームリーダー / Code for Shinjuku代表 / JPYC株式会社